投稿日:2022年5月13日 | 最終更新日:2022年5月23日
この記事では猫カフェの主体はだれ?ということについて筆者の主観を書いていきます。
日々の暮らしを分析的にみるひとつの視点として読み進めていただければ、参考になることがあるかもしれません。ほかの記事とは違った視点で書いているので少し難しい話になるかもしれませんが、お付き合いくださいね。
結論は「共生社会を目指していこう」ということです。
ヒト対ネコの関係性
わたしは元々、医療従事者として勤務してきました。
その間にさまざまな治療法やセラピーを学んできたのですが、主体は患者さま・利用者さまであり、サービス提供者としてのわれわれ医療従事者がいるという関係性でした。病院などの医療機関なのか在宅なのか施設なのか、従事する領域によっては多少の違いはあれど、その関係性自体は変わらなかったように思います。
このWebサイトのテーマは「猫カフェ」「アニマルセラピー」です。
ほかの記事でも書きましたが、猫カフェのために「飼われている」ような場合もありますし、保護猫などのように保健所などから引き取られ、里親を探すための一時的な住処(すみか)としている場合もあります。そして猫ちゃんたちがいるカフェにわたしたちが訪問して、触れることや交流することで癒されます。
わたしはWebサイトを作り上げるなかである疑問を抱きました。
それが猫カフェの主体はだれか?ということでした。
猫カフェの主体はだれ?
わたしたちが猫カフェを利用したとき、サービスの主体は誰になるのでしょうか?
少しだけこの状況における猫とヒトとの関係性を考えてみたいと思います。
「主体」の対義語を「客体(きゃくたい、かくたい)」といいます。
猫カフェに行ってお金を払うのはお客さんだから、わたしたちが主体でしょう?
いやいや猫カフェにいるのは猫ちゃんたちで、わたしたちはお邪魔している方だから客体だよ!
どちらの意見も正しいことのように思います。
猫カフェにおいては猫ちゃんが主体でわたしたち人間が客体、またはわたしたち人間が主体で猫ちゃんたちが客体。どちらも正解だと思います。わたしたち人間が、愛護動物たちとどう関わっていくかが大切になってくると思います。
ここでお伝えしたいのは、猫カフェに限らず、どの分野においても主体と客体を明確に分けることなんてできないということなんです。それをザックリとふたつに分けてしまうと、おそらく共存なんてできない。どちらも主体で、どちらも客体であるべきなんだと思います。
猫カフェにいるからといって猫ちゃんたちが主体であり、わたしたちが客体である。またはわたしたち人間が主体であり、猫ちゃんたちが客体である。どちらも正解だといえると思うんですよね。だからこそどちらの立場であっても、猫ちゃんたちを愛でられるようにしていかなきゃならないと思うんです。
これが「共生を目指す社会(Social Inclusion)」ではないでしょうか。
共生社会(Social Inclusion)とは?
「共生社会」と聞いてもピンとこないひともいるかもしれませんね。
国連で定められ、世界が目指す取り組みとして掲げられたのが「SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)」です。この目標を達成するために日本をはじめとする各国が、具体的な行動を起こしています。17の目標を掲げているSDGsの、ひとつの目指すべき形が共生社会の実現です。
2022年現在、世界はあらゆる意味で分断されていると感じます。
新型コロナウイルスの脅威はまだまだ続きますし、ロシアとウクライナの戦争は終わっていません。
日本国内では貧富の差がどんどん開いているようにも感じています。
この状況を「共生できている」と感じられるひとがいるでしょうか?
猫カフェのWebサイトにおいてこのような主張をするのは、的外れかもしれません。しかしなにかの考えるきっかけになってくれると嬉しく思います。
共生社会を目指す
共生社会を目指す、とひと言で表しても、それは決して簡単なことではありません。
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